勘違いで
あってほしい。
過去のカルト宗教に高学歴の人たちが取り込まれていった過程について、考える。
ここ1年ほど追いかけている理系の知的なウィットの効いた人たちがいる。
いろんな点で成功して欲しいと今ももちろん思ってる。
そして人文・哲学系にどんどん引き込まれていく様子を見て、そして繋がりから悪しきアカデミアに近づいて行くように見えてしまった。生きて行くための解った上での利用ならいいな。
科学の目からどうしたって繋がってしまう哲学的な問いや答え的なものは、本質的でもあり危険と背中合わせだ。
彼らはとても純粋に良いものを求めて追求している、目を輝かせながら。育ちも環境も悪くない人たちほど無垢だから。
私なんかには理解できないくらいの知的レベルの人達なので、とにかく理解した上で利用して欲しい。
そして一般レベル以下の人たちには哲学はとても危険だと考えている。
いや、語弊があるので足すと…まず命や意識や精神や宗教について自発的に悩み考え抜いたことのない人には、本質的なものを先に蒔いたり、振りかけることは非常に危ういと思う。魅力的な毒であると感じている。おそらく宗教やマルチや洗脳というものはこの辺をくすぐる事がメインだと思う。全て同じ事だ。
この心配は私持ち前の杞憂であればいい。
昔からの文壇、学閥その他諸々、属することの功罪について考える。幇間、真似事を何より逃げだと思う。Tの考え方が私は自ら理解しようとして染まってしまったから、これも独自の信仰かもしれない。6歳の時、死について悩み始め長い時間かけて自分で見つけた信仰みたいなものだ。
生きて行くための。
どうか取り込まれないで。好きな意見も言えないつまらない存在にならないでほしいと心から祈る。