酔
父方の祖母は長崎の原爆を見たと聞いた。
郊外の高台から。
沢山子供を産んで敗戦後、暮らしが後退した夫(私の祖父)を諦めながらも立てて一緒に暮らし、子を残して育て上げた逞しい人。
私にとっては決して優しくなく、沢山の孫に囲まれた祖母。
80になって禁煙をして、90になって再開したと聞いた。
そりゃそうだ、何ももう我慢なんてする事ない。散々我慢もしてきた筈。思うようにしてほしい。
それでも95くらいまで生きた祖母。
私の兄は人懐っこく、愛嬌のある人だったからとても,可愛がられていた。そんな兄を幼い頃から高校時代までは羨んでいた。話が逸れた。
でも亡くなる少し前にはやっと私の母や私に意識を向けてくれるようになっていた。
わかりやすい、饒舌な、表面的な優しさとは違った、地味で主張しないが、直接には親身に思う事に気づいてくれた。つまり私の母の優しさ、気持ちを最期らへんに注目し大切に見直そうとしてくれた。
きっと慌ただしい日々ばかりだったんだろう。
今は理解できる。
それを伝えてくれた事に感謝している。
どうかおばあちゃん、いろいろ会話できなかった事、質問できなかった事、許してほしい。
今は脳内で会話している。
ごめんなさい。
今よりもまだもっとずっと幼くて拙くて。
何とかも遅いことは重々承知。
だからずっと悲しいまま、生きていく。
今なら話せたのかな。
いや…自信なんてほんとない。
親とだって今なら間に合うだろう事だって、其の儘なんだから。
何も進歩しないで、懺悔やら後悔やら、只々積み上げていく人生。