秋分
も過ぎて、お墓参りも前日に行っておいたので気分はスカッとしている。
世の中は三連休の中日だけど、昨日から東海から東に向けて台風が進んでいる。
風よりも雨台風で被害が大変だ。
9月7日からお昼からアルコールを摂るのをやめた。
ははーん、これがそれね。と実感している。いい経験だ。
飲みだしたのは春だけど、本格的に増えだしたのは夏なので2〜3ヶ月弱、自分にとっては初めての経験だった。そうは言っても、量としてはそこまで多い方ではないだろう。度数の強いものも飲めるタイプではないから。
そこで感じた事は
・強くなった気になる
・美味しくなる
・固形物が少しずつ要らなくなる
・昼でもマスクしてるし無ければ買いに行けばいい
・毎日だと人の目もあるので何店舗かをグルグル回す 等など
これがほんの少しずつ大きくなっていく感じ。
そしてどんどん人目が気にならなくなるんだろうな。
そうなる前に辞めようと思う。
辞めてからまだたった2週間くらいしか経ってない。
(1人の時に飲むことを禁じた)
私が特別視している好きな優しい2人は中毒になり苦しんでいた。片方の伯父については、詳しくは知る由もない。
断片を統合して妄想で埋めている。
とても優しい人だった。そして弱かった事が辛い。
2人がそうなる理由はとてもわかる。
詮無い事。だけど私は違うから、今のうちに止めよう。
この先そうなるかも知れないけど、今じゃない。
最近の
ここのブログは殆ど酔った状態で書いていたので、読み返したくない。
昔は日記をつけていて、小学1年の時に最初の日記帳を買ってもらってから何かあれば書いてきたけど、ネガティブさは大学卒業の頃からどんどん濃くなっていったので、もう捨ててきてしまった。
今は実は後悔している。
というのもドロドロした部分には何の未練もないけれど、ほんのちょっとしたメモみたいなものや夢のメモなどを惜しんでいる。
まぁもうないのだから仕方ない。
今記憶に残っているものはまだ結構あるので、覚えているものは残しておこうと思う。
その内忘れてしまうのだろうから。
1人
一昨日から自宅に1人。
そうすると、また昔からのアレが出てくるのだ。
いつかこんな日が来るのではないか、末っ子の自分は順番では最後。
なんとか幸せなうちに終わらないものか…。
こればかりずっと考え続けた8才〜30だ。
いや密かに継続している。
高校卒業時、サイン帳というものを書く習慣があり、
人に渡すものには「惜しまれて死ねる人になれますように」「惜しまれて死ねますように」と書いたのを覚えている。
本気でそう思っていたが、今よりずっと若く傲慢だったからだ。傲慢だな。
今はというと…出来得るならば先に逝きたい、といった感じだ。
いや、もうそれすらよく解らない。
大切なものたちを置いていくことも辛いので、答えはない。わからない。
ひとりになるとやはりこうなるのだ。、この十数年が恵まれてるだけで、それ以外の人生は違う。
怖いのはずっと変わらない。結局変わってないんだ。
何でもない
妬み嫉みは醜いと思う。
でも排除し切れるほど徹底できるわけでもない。
どうしようもないことだらけ。
そんなことは一桁台の年の頃からわかってる。筈。
それでも羨ましく思うし、上を見ても下を見てもキリがないことだ。
私としては今現在、アガリに近い方の人生だと思う。
あくまで今現在で、明日、明後日、その先は全くわからない。
今何をすべきか、今しないことで数年後どれほど今日のことを悔やむか、それも目に見える気がする。
それでもこの有様。
全てそう。
いつでも気を抜けば、周りに人が居ないと驚くほど涙が溢れてきそうになる。
本当に生きていくのは怖いことだ。
今となってもそう思う。
昔はもっともっと狭い視野で、そう思ってたんだ。
玩具
哲学や学問を玩具か何かと思ってる人が増えたのかな。
暇つぶし、趣味なのかな。
本当に生きてく上で必要な人にとってのものだと思う。
表面を触って嬲ってにやにやしながら語るものでは本来ない。筈。
本当に必要な人にはなかなか届いてないのが現実だな。
私は偶々出会ったけど、それご学問であるとはやはり思わない。
○○学と言うことに違和感を覚える。
実際に真剣に求めて思考している人には失礼な物言いかもしれないな。
只、暇つぶしに、玩具のように楽しみ利用しているのには疑問しかない。繰り返してしまった。
苦悩している人は、何か光を求めて苦しむ人は、探す筈。自分で探す筈。
簡単になんでも楽に手に入れたことには何の価値もない。
ジタバタして、のたうち回って見つけたものが真実だ。
最期はそれしか自分を救わないと思う。
割と確信している。
学問
好きな学問をできた人いいな。
純粋にそう思う。
色んな不具合、不器用な人間で成り立った家族だったから結果、今がある。
結果的には誰にとっても得でも役にも立ってなくて、色々申し訳なく思う。
したかった学問は心理学に始まったが、その他はどれも文系や書画など、父からは勿論 文学や芸術系のものを学問であるとは思わなかった。
ずっと本が好きだったが学問とは別のものだと思っていた。そして、そのために大学に行かせてもらえると思ったこともなかった。
勉強しろと言われる友人たちが羨ましかったな。
結局、何の興味もない学部へ進んだ。
父への体裁のためだけに。
進学クラスに在籍して、当時、行ける学力と経済力があるのに高卒になるのが嫌だった。
つまらない話だが、心からそう思ってた。
それならなぜ、子供の頃から勉強させたのか。とか色々納得できなかった。
今となってはあの4年は無駄でもあるけど、1人今に繋がる友人を得たので意味はあったと思う。思いたい。
そして、そうは言っても結果的に学費等出してくれたことを感謝しているし、申し訳なくも思っている。
わかりあおうとしなかった、わかりあえると思った事もなかった。父の言い分も今ならある程度わかる。
遅いけど。
それどころか…8歳から10代20代、あれは一体何だったのかな。
懐かしむことはできるし、欲したりはする。
でも戻りたいとは思わない。
もう十分だな。十分痛々しく、存分に曝け出し、自分の情けなさも弱さもみっともなさもネガティブなもの全て出し切ったと思う。
いや全てじゃない。
40代の今、信じられないほどの凪がある。
偶にこの凪が怖くなってしまうわけだけど。
もう疲れたからね。あんなの。
今の状態も永遠ではない。
怖い。
何だか
心は虚ろだ。
推していた人々は個別にはとても面白く興味深い。
だがしかし…相性というのか、パワーバランスというのか、尊敬によるものか、遠慮かわからないが、どうしようもない事だが、ミスマッチがある。
私は幼い頃から周りの人間に顔色を窺ってきたせいか、そういったものに過敏だ。
そういったものによって心地よさがストレスに急変してしまう。
全ては他人のことだ。
私が感じるものは本人が不快と思ってるわけではないのだから、勝手に距離を取るしかない。
ほんの少しの空気、ニュアンスの伝わらなさ、育ちの違いや様々な要因があるのだろう、あの違和感。
そこに反応してしまう自分が嫌だ。